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暗黙知とは?企業内の知識を形式知に変換するための考え方を解説

公開日:2024年3月28日

前回記事では、組織に分散する知識を集約して、普段の仕事で活用するナレッジマネジメントの実践についてお話しました。企業の中には、技能(スキル)やノウハウと呼ばれる言語化困難な技術や、道具や機械に埋め込まれ把握困難な技術が存在し、それらを上手く引き出す必要があります。今回は、SECIモデルとよばれる組織的知識創造の枠組みの説明をきっかけに、そもそも暗黙知とはどのような特性を持ち、技術人材にとっての暗黙知の重要性や、企業はそれにどのように向かい合うかなどを考えてみます。

1. 暗黙知とは?

暗黙知とは、経験や勘に基づいて生じる知識のことです。技能やノウハウ、スキルなどとも言い換えられ、言語化して伝承することが困難な知識を指します。それに対して言語や数式などで明示できる知識を形式知といいます。作業手順書やマニュアルなど誰が見ても同じ解釈ができる知識を指します。

2. 組織的知識創造を考える

組織内に存在する知識を、個人レベルで埋没させることなく組織の知識として活用することを、ナレッジマネジメントと呼ぶことができます。さらに1990年代以降、構成員の知識共有に加えて、協業して新しいアイデアを創出するといった、知識創造にまで概念を拡張して議論されてきました。そのきっかけが、野中郁次郎氏の組織的知識創造理論と、SECI(セキ)モデルと呼ばれる、組織に埋もれる暗黙知と形式知の相互交換の考えです。

このモデルは、構成員が業務の共体験通じて暗黙知を含めて共感を深める「共同化(Socialization)」、共感を言葉で表現して概念やコンセプトといった形式化された知識を作り出す「表出化(Externalization)」、作られた知識と既に保有する知識を組み合わせて体系化を進める「連結化(Combination)」、出来上がった形式知をもって実践することで新たな学びを得る「内面化(Internalization)」です。この四つの経験を組織が回し続けることで、組織的な知識創造がおこなわれるのが「SECIモデル」です(図1)。

(図1)SECIモデル 4つのプロセス

(図1)SECIモデル 4つのプロセス

伊丹(1999)は、職場で多くの人たちが「ワイワイ・ガヤガヤ」と自在なコミュニケーションを取ることで、情報的相互作用が生じると述べています。言語による会話や文章による伝達以外に、顔の表情やボディーランゲージにより多種の情報が交換され、その結果として、個人間の共通理解の増加と、個人間の心理的共振が発生すると指摘します。心理的共振は、個人の心理的なエネルギーを向上させ、その力が知識創造を促進しているといえます。仕事の共体験で心理的に得た何かが、仲間との共振によって「あ、それだ!」と気づき言語化できることが、SECIモデルで表現されているとおもいます。

この時代は(2000年より以前)、「大部屋方式」と呼ばれる部や課の壁を取り去って、一つの大部屋に同居するスタイルがブームだったと思います。自分の職務範囲だけでは解決困難な事象が生じると、声を出して周りの人たちを集め協力を求め(部課を越えて)、自在な「すり合わせ」を行う融通性が重視されていたと思います。職務のパフォーマンスが、職務設計よりも人柄や人物性などに、強く影響されていた時代だったのかもしれません。大部屋主義で生じる深くて密なコミュニケーションが、SECIモデルを生んだ土壌だったと思います。ICTによるコミュニケーション能力が向上し、細分化された分業が主流の現在では、大部屋方式の人的接触は希薄になりました。バーチャル空間において、いかにして心理的共振を発生させるかが、組織的知識創造のポイントかもしれません。

3. 身体が関与するスキルについて_芸道・伝統産業・匠の技

暗黙知やスキルといった把握困難な知識の議論は、企業の知識創造に留まらず様々な領域でおこなわれてきました。その一つが、手工業に代表される伝統産業や芸道における議論です。素晴らしい感動を与える熟練者の演舞や演奏は、素人が外見上の動作を真似ても感動を与えるに至りません。そこには表現困難な「何かの違い」が存在し、その何かがスキルや技と呼ばれます。

生田(1987)は芸道者の訓練課程を、弟子が師匠を模倣する「形」の繰り返しに始まり、内面的意味をもつ「型」に変わる過程と表現します。師匠と同じ動作をできる状態が「形」の習得で、「型」とは「形」で不足する精神的なものが付加された状態で、付加された何かは言語化できないが故に、師匠から「盗み取る」と表現される育成がおこなわれています。この「見えない何か」は、暗黙知といえるでしょう。師匠の形を真似て、そして師匠を超える過程は、「守破離」という表現で語られています。守は師匠の教えを守り基本を身につける段階で、破は学習者の創意で自分に合った技を作り出す段階。離は守破を超えて新たな境地を見出す段階です。生田(1987)によると、「型」の習得は単なる「形」の模倣を超越して、各々の動作の意味を、自ら解釈する努力によって実現できる境地です。

このような暗黙の特性をもつスキルは、知識として表出することは困難なため、それを補う「わざことば」という比喩(メタファー)を用いた訓練があります。生田(1987)によると、「天から舞い降りる雪を受けるように」「指の先を目玉にして」などの表現で、人間の動作を肢体の具体的な指示語でない他の文脈で表現することで、形式化できない「何か」を伝える努力がおこなわれてきました。暗黙知を「わざことば」を借りて、その一部を形式知らしい情報に変え、見えない何かを類推させる工夫です。前述の組織的知識創造の過程にも、同様の努力や工夫が埋め込まれているといえます。

4. 暗黙知はどこまで客観化できるのか

暗黙知という表現を有名にしたのは、Polanyi(1966)の『暗黙知の次元』という書籍ではないでしょうか。彼は人間の能力を、「言葉にできることより多くのことを知ることができる」と語るように、人間が「知っていること」と「語ることができること」の間にギャップがあり、語ることのできない多くの知識が存在することを指摘しています。医者が患者の顔色を見ただけで病気を発見したり、科学者が岩石の標本を見分けるのも、彼らの推論の過程は意識に現れず、意識に現れない特徴をもつ力を暗黙知と表現しました。素人には無意味な情報であっても、彼ら熟練者(スぺシャリスト)に掛れば、無意味な情報から意味ある情報を形成する人間の能力に、暗黙知の能力を見出しました。人間の意識できない領域に、不思議な卓越した能力が潜んでいることを示しています。

生田(1987)の議論で、「型」の習得は単なる「形」の模倣を超越した状態とありましたが、熟練者が認識困難な何か(暗黙知)が存在し、「形」の模倣では暗黙知の伝承は困難ということでしょう。スポーツ選手の卓越した能力も、同様でしょう。「カーブの投げ方」を教科書で学んでも、実際には切れ味良いボールは投げられず、訓練の末に獲得した「無意識の筋肉の動き」によってのみ達成可能です。それはPolanyi(1966)の議論のように、存在さえ認識できない能力なので、暗黙知を形式知に変換することは無謀なことなのかもしれません。認識できないものは、言葉に変換できないと考えるべきでしょう。

SECIモデルでは、組織成員の体験と共感を通じて、形式知の創造が可能とされていますが、この場合、「存在が認知された領域」だけが形式知に変換されると考えるべきでしょう。仕事の現場には、共認識されているが形式知に変換されていない何かが多く存在し、それを組織成員の認識を統合しながら文字化する行為をSECIモデルと考えれば、暗黙知の議論も少しスッキリするかもしれません。SECIモデルの知識共有と実践サイクルの駆動は、知識創造の側面だけでなく、組織内の共通認識の強化や合意形成の促進に力を発揮するとも考えられます。大部屋方式による共同作業や「すり合わせ」が前提となる仕事には、SECIモデルの精神的前提がピッタリくるかと思います。

組織成員の議論で創造されたアイデアは、所詮は認識した意識の延長のアイデアに過ぎません。非連続の「卓越した発想」は、個人の熟考で発動する暗黙の能力でしか実現できません。この2つは、明確に区分すべきです。形式知化できる部分、形式知化が困難な部分を切り分けて考え、形式知化による標準化やデータベース化が容易な部分を見つけ、早急に着手し、SECIモデルによりレベルアップを図るべきです。そして、形式化できなかった部分の存在を改めて認識することで、「卓越した発想」の議論が際立つはずです。

5. 技術者の仕事と暗黙知の存在

熟練者のもつ高度な能力は、Polanyi(1966)が「言葉にできることより多くのことを知ることができる」と語るように、無意識の多くの「知っていること」で形成されています。また、高度な熟練作業も、脳神経系や筋肉神経系の情報処理プロセスが関与して、人間の意識が及ばない筋肉の動きが頼りですが(例:精密加工、カーブの投げ方)、営業人材や技術人材の仕事には、この部分は多くありません。問題は仕事の中で、熟練能力が必要とされる場面、すなわち「形式知(例:獲得済みの技術)」では対処困難な不確実性が、どこに潜んでいるかの見極めです。

人間と人間の接点(結合部)は、例えば新規営業活動での顧客関係は不確実性の塊です。普段付き合いがない組織間の新規業務も、人的調整や「あうんの呼吸」が求められる不確実性の高い業務です。しかし、販売所の店頭業務やコールセンターでの人間の接点は、ルーチン化できる部分が多く不確実性は低いです。新規部品・新材料間の接点(結合部)は、未経験ゆえの不確実性に気が抜けません。新しいソフトウェアやライブラリーの組み合わせ部分も、内部に見えない部分があり不確実性が高くなります。一方で、実績のある部品や材料の採用、自社開発ソフトウェアの改造では不確実性は低いです。

普段の仕事は、人間の接点の不確実性(人的)と、部品や材料の接点の不確実性(物的)が複雑に関与するために、発生する諸問題を複雑にしていると思います。形式知として獲得した知識(技術)で解決可能な不確実性、熟練者の暗黙知に頼る部分、人的接点により複雑化した部分、などの視点で普段の仕事を切り分けてみると、組織内の問題解決がスッキリするはずです。一方で、熟練者を目指した育成は、「伝承すべきものが認識できない」という前提に立つと、非常に難易度が高くなります。暗黙知が関与する部分には、生田(1987)が指摘するわざことばやメタファーを多用して、熟練者に最接近した徒弟的学びが不可欠でしょう。しかし、伝承すべきことが認識できるのであれば、その難易度が低下します。SECIモデルで表現される集団活動は、認識できる部分の育成に有効といえます。奥が深い暗黙知の世界ですが、上手く付き合う方法を模索してみたいです。

【参考文献】
Anderson, J.R.(1980)Cognitive Psychology and Its Implication, W.H.Freeman and Company.(富田達彦・増井透・川崎恵里子・岸学訳(1982)『認知心理学概論』誠信書房。)
Polanyi, Michael(1966)The Tacit Dimension, London: Routledge & Kegan Paul Ltd.(高橋 勇夫(翻訳)(2003)『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫。)
生田久美子(1987)『「わざ」から知る』東京大学出版。
伊丹敬之(1999)『場のマネジメント-経営の新パラダイム』NTT出版。
野中郁次郎(1990)『知識創造の経営-日本企業のエピステモロジー-』日本経済新聞社。
野中郁次郎・竹内弘高・梅本勝博(翻訳)(1996)『知識創造企業』東洋経済新聞社。

岡山商科大学経営学部教授 國學院大學経済学部兼任講師 門脇一彦 氏

門脇一彦 氏
岡山商科大学経営学部教授
國學院大學経済学部兼任講師

1959年大阪市生まれ。神戸大学経営学研究科博士後期課程、博士(経営学)。ダイキン工業株式会社で空調機開発及び業務改革を実践後、2015年より電子システム事業部でITコンサルタントを担い現在に至る。2021年より現職。経営戦略、技術管理、IT活用、医療サービスマネジメントなどを研究。

 

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